2012年01月29日

読書日記目次(2)

(01/29)上田都史(とし)『近代俳人列伝 第二巻』(継続中)
(01/29)村山古郷『昭和俳壇史』
(01/29)小西甚一『俳句の世界 発生から現代まで』
(01/28)金子兜太(編)『現代の俳人101』
(01/28)金子兜太『愛句百句』
(01/28)大岡信『続折々のうた』出久根達郎『行蔵は我にあり 出頭の102人』
(01/24)加藤裸秋『せせらぎ』(継続中)
(01/22〜24)竹本賢三「橋本夢道 俳句と人生」(2〜4、継続中)
(01/21〜22)橋本夢道展パンフレット(7〜10・終)
(01/21)『橋本夢道句碑完成記念誌 夢道母郷集』(継続中)
(01/21)『俳句講座 6現代名句評釈』
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上田都史『近代俳人列伝 第二巻』(2)

 前項の続き。
 先ほどの昭和の6句は、最初の句こそ17音だが、次いで28音、そして30音以上になる、と指摘し、井泉水がよく「放任」した、とも言う。
 さて、その後に紹介する、「この集団が〜」「芽ぶくプラタンに〜」のような「剥き出しの句が現われる」とあり、壺井繁治から批判された旨も出てくる(この件についての評価は、ブログ内で別に書いた)。
 そして、短歌の31音を越え、50音に達するものまで書くとし、「じっと妻の〜」「三菱銀行の〜」「何の役を〜」の句を引き、順に38音、40音、50音と、音数を明示する。
 夢道の句の音数に、ここまでこだわるのは珍しい。
 その後に、俳句雑誌に載っているから俳句だ、と豪語する夢道を、いささかこき下ろす。
 これまた珍しいが、概括的に俳人を扱う本ならではのことか。
 それにしても、「こんな長いものに俳句の市民権を与えてはならない」とは、逆に五七五でありさえすればいい、と言っているくらい、個人的には暴論に近い感じもする。
 さて、たいがいの作者なら、長くなれば忸怩たる思いのするところ、そうはならない夢道の、豪快なバイタリティーだけは、著者も、爽やかでさえある、とはしている。
 この項、続く。
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上田都史(とし)『近代俳人列伝 第二巻』(1)

 永田書房、1987年。全三巻。夢道より若干年齢が下という程度の、年長の著者である。
 終わりのほうで、夢道の章がある。
 冒頭は、夢道による「夢」という小品の引用である。
 雅号が「夢道」ながら、夢はあまり好きでない、生い立ちが貧しく、劣等感や敗北感を知っているため、と始まり、70歳になってから見る夢でさえ、組み伏せられたまま負け、という感じで、貧乏な家に育つのは嫌、だとし、万人平等の幸せを、と終える。
 その後は、夢道の句集の、あとがきの文章を下敷きにした、夢道の俳句観が続く。
 よい句を作ろうという、芸術主義的な志向とは、夢道は違う、という記述に、夢道にも、著者にも、失礼な意味でなく、今さらながらハッとさせられた。
 その後は、生い立ちである。失礼ながら、小見出しがなく、段落間の空きもなく、読みやすくはない。
 さて、井泉水が「層雲」の句集に選出した夢道の句が、順に挙げられている。
 大正に始まり、昭和に至るが、「青のゆたかなる〜」「柑樹色づく〜」「土筆が首を〜」「それが思い出せない〜」「乞食等〜」「自殺の出来ない〜」「そくばくの〜」「煙突の林立〜」「どこかで何か〜」「学校の子供の〜」である。
 次項に続く。
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村山古郷『昭和俳壇史』

 角川書店、1985年。
 まずは「22 左傾化する地平線」冒頭で、「層雲」の名のもとに、夢道が初めて出てくる。
 次いで「50 戦争俳句」の最初のほうで、夢道ら俳人も出兵したことふれられる。
 そして「57 「天香」創刊」では、しばらくして、その創刊祝賀会で、京大俳句関係者が一斉検挙されたことに驚愕する夢道のことが書かれている。
 さらに「67 第四次の東京検挙」では、夢道の逮捕が出てくるが、夢道が容易に口を割らなかったので、神代藤平の逮捕はかなり遅れ、一斉検挙とは言えない、とある。初耳だ。
 さて「69 ギリシヤの神は知らざりき」とは、夢道のための小見出しであるが、その冒頭では、夢道宅を特高が襲った様子が書かれている。おびえる妻の前で手錠をかけられた、と。粉雪が舞っていた、とも。
 その後に夢道の生い立ちがふれられ、句の紹介、さらには、小見出しのようなコマーシャルの制作をしたことにもふれられる。「甘い蜜豆とは似つかわしくもない、尖鋭的な「俳句生活」」という表現が、興味深い。章の最後では、保釈にふれられる。
 「71 〓[「令」を□で囲む]〓[「吾」を□で囲む]の人たちとその日々」では、中ほどで、東京三と二人だけ、夢道は幽囚の思いを句に託した、とある。
 最後に、細谷源二と、昭和17年元日に、拘置所で話をし、注意された様子が述べられている。
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小西甚一『俳句の世界 発生から現代まで』

 講談社学術文庫1159、1995年。原本は、研究社出版、1952年。
 第三章の「自由律と無季」という、いかにも夢道ならではの章で、「三 プロレタリア俳句と新興俳句」という小見出しのところで、夢道が出てくる。
 自由律俳句が出てきたが、主流にはなれなかった、とするところで、夢道の「この集団が〜」の句や、林二、一石路などの句が引かれる。
 左翼の俳句だから「五・七・五や季語なんて封建的束縛は、威勢よく蹴とばして、目的とする思想をがんがん言ってのけるに限る」と、やや偏見に満ちている。
 さらには、「藝術の世界とはおよそ御縁のないしろもので、アジビラやプラカードの標語と、どれほどの差がありますか」とくる。
 夢道を扱っている本に珍しいこきおろしだが、概説書のため、全部を扱うということだからであろうか。
 しかし、プロレタリアの立場を認めてもいて、「もっとも、かれらには、ちゃんと理論があるのでして、何を表現するかが第一なのであり、いかに表現するかは第二また第三以下なのであります。そして、その「何を」もちゃんと決定済みです」とし、単なる貧乏ではなく、マルクス・レーニンの思想による階級闘争を詠まなくてはならないとしている。
 そして、プロレタリア俳句が何たるかの引用が続く。
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2012年01月28日

金子兜太(編)『現代の俳人101』

 新書館、2004年。夢道の項は、森下草城子。
 「獄衣〜」の句で始まる。
 「小さければ、体を合わせろ」という時代だった、ということに、ハッとする。
 幼子の衣服を思い出すあたり、プロレタリア句でもあり家族句でもある句の選択に、恐れ入る。
 「「あどけなや」と[句に]あるが、これは表向きのこと。夢道の内側には、体制批判の鋭い目がある。内なるものは外に出せない」という部分が、印象的である。
 「うごけば、寒い」も、このころ、とした後で、一気に「青天の霹靂〜」の句である。
 頑健と自認していた夢道だけに、ショックだったはず、と、今さらながら思わさせられる。
 そして、「妻よ五十年〜」の句である。
 どの句集の題にも登場する妻ゆえ、作品にも登場する。
 恋愛結婚で馘首されたことの記述の後に、「重い空気の世相の時代、懸命に、人間性豊かに生きてきたことであろう」とあるのを、あえて引いておく。
 「無礼なる妻よ〜」「鵞毛の降る〜」「妻よおまえは〜」の句が最後に引かれる。「妻よ五十年」の句は、先ほどの引用の集約であり、味わい深いとしている。
 なお、「石も元旦である」など15句、囲みで掲載。
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金子兜太『愛句百句』

 講談社、1978年7章中2章めの、「真乙女の抄」に、夢道が登場する。
 「古壺(ふるつぼ)に梅青青と泪妻(なみだづま)」の句が冒頭である。
 「天命」と題した前書きがあり、その全文が引かれている。
 その後に、句の解釈に入るが、梅酒を作っている状況と言う。さすが。
 ガンで、もうこれ以上味わえないのではないか、との涙、もすごい読みである。
 「老妻の姿には格調があり、それだけに悲しみはふかい」という部分は、そのまま引く。
 さて、この定型句は、夢道には珍しい、と言う。
 長い自由律、短唱もあり、自由自在だった、とも。
 その背景には、作句のきっかけより、その後の転変による、とする。長律で活動し、獄中では短律。「力が堰止められて、ぐぐぐと盛りあがる感じがあった」という部分も、そのまま引く。
 ただし、獄中生活が9年に及ぶ、というのは勘違いだ。
 さて、妻の句が多い、として、「僕を恋う〜」「無礼なる妻よ〜」「紅梅を〜」「古妻の〜」の句が紹介される。
 「「泪妻」にたまっている、長い妻俳句の歴史をおもわないわけにはゆかない」という部分も、そのまま引く。
 最後の「好漢夢道」とは、案外、言われていない表現だ。
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大岡信『続折々のうた』 出久根達郎『行蔵は我にあり 出頭の102人』

 前者は、岩波新書、黄146、1981年。
 p.101「夏のうた」で夢道が登場。「妻の手紙は〜」の句が収録。最後の箇所を引く。
「若妻から古妻になるまで、愛妻をたえず詠みつづけて人間味あふれる佳句がある」。

 後者は、文春新書405、2004年。
 p.192に「愛妻俳人」として、夢道。「眼底の〜」「妻よおまえは〜」の2句が冒頭に。
 「京大俳句」で話が始まる。警察とのやり取りだが、静子夫人が前面に出ているのが興味深い。
 夢道逮捕の後に引かれるのが、「大戦起る〜」という句である。
 スローガンのような長律の句で逮捕された夢道だが、獄中ではつぶやきのような短律の句、とあり「からだは〜」「こおろぎ〜」、そして「うごけば、寒い」の句が引かれる。
 その後になって、夢道の生い立ちと、静子夫人とのなれ初めにふれられる。
 他の人との縁談を断わってでも、未成年の静子が夢道に執心するさまを、小説家らしい筆致で紹介した後、「僕を恋うひとがいて〜」の句が出てくる。
 その後、結婚して馘首されたが、あんみつを発明し、「蜜豆を〜」のコマーシャルを作ったとある。
 句集の題にはすべて「妻」があるとし、最後は「青天の霹靂〜」「天命のたまいし〜」「貧乏癌よ〜」の3句。
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2012年01月24日

加藤裸秋『せせらぎ』(1)

 竜の目舎、1978年。俳唱自由律集、とある。
 俳唱、とは独特の言葉だ。
 夢道の死後の刊行ながら、昭和四十八年三月、と書かれた夢道の文が、巻頭言である。
 「友だちの一言」という題で、1ページではある。
 若いころ、井泉水の「層雲」にともに心酔したとある。
 で、ここでも、飲んでケンカしたともある。暴力ざたは書かれてはいないが。
 俳唱とは、独自の俳詩とある。これならややわかる。

 後半には、裸秋の「夢道さんじょがら」という文章がある。
 「鉈の音」で始まる、前にもこのブログで扱った句が冒頭にある。
 そして夢道の死後に見た、蔵書のすごさに驚いた、と続く。
 啄木の書を擦り切れるほどに読んでいた、という。
 そして、「低い山山も」で始まる、長律の詩を、井泉水がほめた、という。
 その後、井泉水から離れたのは、夢道の純粋さによる、という。なるほど。
 純情な者は残った、という表現がおもしろい。
 この項、続く。
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竹本賢三「橋本夢道 俳句と人生」(4)

 第4回は3月17日(日)。「ここで泣く背中の子を汗ばんであやしている兵 一石路への愛情」の見出しである。
 「畏敬の友」という小見出しより前に、一石路墓参の際の句が掲げられている。
 一石路の墓へ酒をかけに来たはずが、すでに結構飲んでしまっていたのでは、という竹本の言は、よくぞ書いた、という感じである。
 新橋の「やの新」という焼き鳥屋で、二人はよく飲んでいた、という。
 さて、一石路の戦後の句も引かれた後が、「つきぬ熱情」という小見出しである。
 夢道が 井泉水と別れて、一石路とともに歩んでゆくが、発禁や弾圧を受け、検閲を受けた様子が、生々しく語られる。
 最後の小見出しは「複雑な感慨」である。
 夢道が一石路との俳句談義で、時には暴力ざたも、とある。
 想像はできるし、悪意のものではないだろうが、よくぞ記事に書いたもの、と失礼な意味でなく思う。
 そして、収監され、「うごけば、寒い」の句が紹介される。
 また、渡満部隊の句が最後に出てくるが、検閲で、すぐには日の目を見なかった、という。
 すべての句が見られる現在は、幸せだ。
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2012年01月23日

竹本賢三「橋本夢道 俳句と人生」(3)

 3月16日(土)が第3回。「蜜豆をギリシャの神は知らざりき あんみつを発明」が見出しである。
 ただし、広告の現物の句では「みつまめ」だった。
 さて、最初の小見出しは「召集令状」である。
 職を変わった夢道にそれが来たが、留守部隊を預かっている時に、夫人が子連れで来て、疾病のため解除されたという。
 軍隊から帰り、銀座に戻った夢道は、「月ヶ瀬」という店で、あんみつを創始した、という。
 続いて「巣鴨刑務所」という小見出しである。
 井泉水から離れて、プロレタリア俳句に傾注し、あんみつが売れ、前の店の借金を返したころに、夢道は刑務所入りとなった、という。
 最後は「店をゆずる」という小見出しである。
 出獄の際、夢道は、店を預けていた人に、権利を譲った、という。
 譲らなければ資産家になっていてもおかしくなかった夢道だが、それではいい句が生まれなかっただろう、という竹本の言も鋭い。
 しかし、盆暮れの付け届けを含め、支えられたともある。
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2012年01月22日

竹本賢三「橋本夢道 俳句と人生」(2)

 昨年12月26日の続き。
 2回めは、翌15日(金)。「妻鶴に近づくや鶴妻の美に驚きぬ 夫人への熱い愛情」という見出しである。
 「無礼なる妻」という小見出しで始まり、句集の名にはすべて妻、とまず書かれている。
 社会批判などを詠みながら、頻繁に妻が出てくる、とし、「無礼なる妻よ」で始まる句を出してくる。
 次いで、見出しの句を出してくるが、よくもぬけぬけと、という言い方を竹本はしている。あっぱれではある。ガンにかかった晩年でも、妻を「こいつ」よばわりしている様子も書かれている。
 そして「火のような恋」という小見出しである。
 なれそめから、結婚、そして馘首についてふれられる。今さらながら、恋愛結婚は野合に等しい、という主人の言い方に驚く。
 その後に、自由律俳句を志すに至った経緯が書かれ、「野菊咲きつづく〜」の句が引かれる。
 最後は、「見つめて笑う」の小見出しで、「妻よ五十年〜」の句が引かれている。
 うまいまとめ方ではある。
 夫人は、ずうずうしい、と最期の句について言っている、とも。
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橋本夢道展パンフレット(10・終)

 14ページは「家族」。
 長男の結婚に際しての、墨字での「母郷の夢譚」。長女の結婚での雑誌「俳句人」への5句の自筆原稿。
 次女の結婚に際しては、原稿用紙にメッセージ。殿岡吉則、とあるが、駿星さんの本名か。
 他は、色紙で、「星子振袖〜」(1958)、「炎天に〜」(1963)、「三才孫めに〜」(1964)である。
 15ページは「交流」。
 金子兜太『愛句百句』、大岡信『続折々のうた』へ、句が掲載、とあり、生原稿も掲載。
 出久根達郎『佃島ふたり書房』や、その生原稿、鷹羽狩行の生原稿の写真もある。
 佐藤春夫の色紙や、ツーショットも。
 16ページは「書」。
 「さけのまぬ〜」(1930)の句は、全句集にはないが、親友に送ったもの。
 句碑にもある「花茨〜」の書も。「うごけば寒い」も。
 他は、「炎となるまでは〜」(1955)、「透明なる〜」(1928)、「喉が乾いた〜」(1929)、「路地しずかに〜」(1949)、「梅咲くに〜」(1963)。
 ただし、最後の句は全句集にも見当たらない。
 裏表紙裏は、展示資料の一覧表である。
 裏表紙は、『無礼なる妻』の写真である。
 このころに夢道を知っていて、行ってみたかった。
 しかし、遅まきながらパンフレットを入手できて、せめてもの救いだった。
  
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橋本夢道展パンフレット(9)

 9ページめは、「旅」である。
 旅先では、手帳のメモにとどめ、その後、句を連作した、という。
 色紙が5枚。「うぐいすの〜」(1953)、「黙約のため〜」(1957)、「野分咲く〜」(1967)、「大洗や〜」(1971)、「予後の旅〜」(1973)である。
 10ページめは、「鳴門の渦」。
 鳴門句碑は「母の渦〜」。その色紙(1953)も掲載。関係句の直筆原稿も。他には、「九十九の渦を〜」「鳴門炎天」(1953)、「熊ん蜂〜」(1964)の色紙。
 11ページは、「母郷徳島」。
 「花茨〜」の藍住句碑。他には「ふるさとは〜」「十万の下駄の〜」の色紙。
 「吉野川」の直筆原稿、徳島から月島へのハガキ。
 12ページは、「月島・銀座」。
 1962年の自宅での新年会の集合写真。月島にも銀座にも、夢道はとけ込んだ、と。 
 「ふるいどじょうや〜」(1947)、「五十年幻や〜」(1972)の色紙も。
 月島の句の自筆原稿の隣りは、月ヶ瀬ポスター。
 もちろん全句集にはない「みつまめ」の句だが、このようにすべてひらがな書きであることを初めて見た。
 13ページは「天命」。
 1972年の直筆原稿、「起死回生」と「大元旦」。
 色紙の句は、「貧乏癌よ〜」「天命のたまいし〜」「青天の霹靂〜」(1972)。
 「うごけば寒い」の墓碑銘の写真も。
 次項に続く。 
posted by 木村哲也 at 14:41| Comment(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

橋本夢道展パンフレット(8)

 前項の続き。漢字表記はママ。
「将来、小供たちと一しょに家にいる時のことばかり思いうかべてたのしむことが多い。その後母上は〓〓〓[三文字不明]如何。母上も大いに営養を心掛けねばならぬ。昔の元気なのに還得られることをいつも願っている。〓〓〓[三文字ほど不明]兄夫婦も元気なるや全く何かとどんに母話を[ここまで数文字意味不明]うけてることだろうと考えると感涙に堪えぬ。それゆえ其後〓〓〓[三文字不明]さんの健康・営業のことが何なるや消息報知ありたし。〓〓〓[三文字不明。人名か]酒井君〓〓[二文字不明]君たちも皆元気で〓〓〓[三文字不明]まりなく、順調にやっていられることと思う。どうか諸氏へもよろしく。何時も僕忘れること無き人たちだ。色々と〓[一文字不明]い友情を〓[一文字不明]して呉れ、感涙に堪えぬ。あんたも一層元気で仕事にはげんでいることと思う。あまりがんばり[圏点四文字]過ぎぬよう自覚あるべし。どうか近況便りを乞う。それから秋の着物も配慮ありたし。別に不自由不足も感ぜぬが――。次にタオルがすっかり傷んでしまったから、この次忘れぬよう一本いれて欲しい。タオル[圏点三文字]は是非忘れぬこと。毎日読書に雑念なくたえ[ここまで数文字意味不明]、からだも元気だから心配せぬように。〓〓〓[三文字不明]書籍いろいろと配慮のありがたし。(石鹸はまだあります)では皆元気でいることを祈る。母上、新太郎、〓〓〓[三文字不明]友人諸氏へよろしく。
                                 十七年九月十七日
 小供たちのそして其他の心配事、病気等のこと、秘すことなく詳細洩らさず知らすこと」
 書簡は以上。パンフの紹介は続く。
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2012年01月21日

橋本夢道展パンフレット(7)

 1月17日の続き。
 保釈書に獄中書簡の写真。無論、初めて見るが、さすがに「重い」。
 全句集にも未収録のこの、昭和十七年九月十九日の書簡を、あえて起こしてみようか(断わりなく新かなに直した。読点は適宜加えた)。
 「啓 ずっと便りが来ぬので、何かと想像を描いて心配することもあるが、皆元気のことと思う。たいへん気候もよくなった。一年中で一番心身を爽〓[旬? 1字不明]にする時だから誰も元気でなければならぬ。今日は雨が降って殊に涼しい。ここの中庭の萩が雨に打たれるさまは、もろこしの秋をひどく深く思わせるような気がする。(萩のまわり萩の花こぼれ雨降る)こんな句を思い浮かばせる。これから秋は深くなるばかりだろう。何かと身に沁みることもあろうが、みんな淋しくさせたり、またさびしくならぬ様、あくまで明朗の日常をつくることに大いにつとめることを希望する。湯河原で撮った道生、星子の写真を落手してたいへんうれしかった。殊に星子は元気よく(病気だったのに)とれている。道生は眼がはっきりせぬせいか、すこしぼんやりして見える。それでも元気そうに二人とも大きくなったような姿に、まったく違っているような気がする。毎日前に立てて(前のと比べて)飽くことなく眺めている。毎日、物語りをしているのかも知れない」
 涙が出そうだ。この項、続く。
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『橋本夢道句碑完成記念誌 夢道母郷集』(2)

 前項の続き。
 次ページは、句集や雑誌の写真の他は、句の揮毫の写真である。
 「うごけば、寒い」「母の渦〜」「無礼なる妻よ〜」「十万の下駄の〜」である。
 もう少し写真が続き、その先は文集である。
 佐野比呂志「俳人・橋本夢道」、出久根達郎「ふるさとの個性」、川崎展宏「夢道という人」と続く。いずれふれよう。
 次いで、みやこうせい「夢道さんという人」である。これを先にふれる。
 夢道病にかかったきっかけの、出会いについてから始まる。
 吉田一穂と同列の、強烈な印象と言う。
 「とんでもないですよ」というのが、この「とんでもない男」である夢道自信の口癖と言うが、初耳のような気がする。
 「ことや物や人を批判するのではなく、ほめたたえて、これはかなわんという時に、発する」と言う。例えば、芭蕉の句について、「これは何ということだ、誰がこんなことをいえるか、とんでもないですよ、と賛嘆し、半ば激昂し手をふり上げたまゝ声を出すのである」とある。
 じかに見てみたかった光景だ。
 この項、続く。
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『橋本夢道句碑完成記念誌 夢道母郷集』(1)

 橋本夢道句碑建立期成会同盟、1995年。
 A4版で、表紙にはカラーで句碑の写真が載っている。
 ただし、失礼ながら表記が気になる。「花茨釣れてくる鮒のまなこの美しき」であるが、文庫では「花茨釣れて来る鮒の眼(まなこ)の美しき」だった。
 「来る」より「くる」がいいが、「まなこ」とは句集ではやっていなかったのである。
 ただ、夢道揮毫であることは、忘れてはなるまい。
 そして、表紙裏は鷹羽狩行の文であるが、そこで句碑に言及しながら、句碑の表記ではなく、当然なのかもしれないが全句集版である。
 まあ、失礼な意味でなく、どのように句を考えるかのヒントにはなる。
 さて、鷹羽は、以前に一度、夢道に会ったとふれ、「うぐいすの匂うがごときのどぼとけ」の句を、よく引用させていただいた、とする。
 その夢道による色紙が、文章の上方に掲げられている。

 さて、目次の後は写真集である。
 「昭和44年8月 夢道、鮒と遊ぶ」とのキャプションがある。妹千恵子、めいの澄子、など。
 この項、続く。
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『俳句講座 6現代名句評釈』(2・終)

 前項の続き。
 「無礼なる妻よ〜」の句で、もう一つの小見出しが立っている。
 さらに4句引かれる。「あれを混ぜ〜」「妻の留守に〜」「すいとん〜」「この飢餓食〜」であるが、無用なルビが気になる。「混ぜ」「飢餓食」「天才」「留守」などにだからである。原典にはあるまいし、「飢餓食」はともかく、他はなくても読めるだろう。しかも、「飢餓」には、あと2回振られている。編集者の意向かもしれないが、鑑賞文が優れているだけに、残念な気もする。
 ともあれ、先の、「無礼なる妻よ〜」の句に関する、優れた鑑賞文を引く。
「「馬鹿げた」食物をつくることに身をやつしているのは「妻」であり、それを否応なしに食わされているのは作者である。こんな目に誰が会わせるようにしたのだと、作者の心底は憤怒に燃えるのだが、作者はここではその憤怒そのものを直接的にぶちまけることはしていない。一種飄逸な口振りで、それを己が愛する妻に仮托している。そのユーモアのうらに妻への愛情もあれば、時代への抵抗もあるというものである。これらの作品の持つ野放図さというものは、けだしこの作家の持ち味であり、この作家を自由律作家中での異色たらしめているゆえんでもあろう」
 その後は、『大正秀句』でも引かれた、夢道の「あとがき」で終わっている。
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『俳句講座 6現代名句評釈』(1)

 明治書院、1958年。
 夢道の稿は安住敦の執筆。最後のほうに登場する。
 「うごけば、寒い」の句が見出しになっている。
 最初のあたりを引く。
「昭和十六年の俳句事件ではこの作家もまた縲紲[(るいせつ)]の憂目を免れなかったが、その二年余に亘る獄中生活において、多くの佳什[(かじゅう)]を遺したことは、[中略]そのたくましい作家精神をたたえられてよいであろう」
 獄につながれる、という意味の「縲紲」と、優れた詩歌、という意味の「佳什」という二つの、あえて言えば難解な熟語が、印象的である。
 「うごけば、寒い」という句の鑑賞も、引いてみたい。
「獄中、壁も床も凍結した中にせぐくまって、囚衣の身をさいなむ厳寒を「うごけば、寒い」と、つぶやくように言い放っている。かくて、この句、自由律俳句の中でも、最も短い形をとっている。これ以上言葉は必要としないし、用いると嘘になるのであろう」
 今度は、丸くなる、という意味の「せぐくまる」という和語を使っての説明が印象的だ。
 獄中句から、他に3句引かれ、その最後は「からだはうちわであおぐ」である。
 この項、続く。
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